学校沿革

昭和39年3月 学校法人下関学園認可。岡崎 英夫理事長 就任。
昭和39年6月 下関電子工業高等学校設置認可。下関市壇之浦(下関電波専門学校)において、校長 櫛田 薫、全日制課程電子科定員300名で開校。
昭和40年4月 下関市大字伊倉字四方山7番地に移転。
昭和42年4月 下関高等学校と校名を変更。自動車科・女子経済科を増設。
昭和47年3月 女子経済科募集停止。
昭和47年4月 普通科を増設。
昭和54年4月 付属幼稚園設置。
平成元年4月 電子科、自動車科を統合して電子機械科に改編。
平成元年6月 創立25周年記念式典。
平成5年4月 下関国際高等学校と校名を変更。
平成10年4月 普通科にBコ-ス(ハングル・中国語会話コ-ス)設置。
平成18年4月 通信制課程(単位制 普通科)設置。女子経済科を廃止。中国語会話コ-ス募集停止。
平成25年4月 電子機械科電子情報コースを電子機械科電子機械コースに変更。
平成26年11月 創立50周年記念式典
平成27年4月 電子機械コースを機械コースに、自動車工学コースを自動車コースに変更。
九州国際大学と高大連携協定を締結。
平成31年3月 通信制課程普通科閉校
令和元年12月 立志貫道館竣工
令和2年4月 普通科普通コース・ハングル会話コースを、普通科キャリアデザインコース・医療系進学コース・公務員コース・キャリアアップコース・アスリートコースに変更。
令和3年4月 第十一代校長に上田晃久就任。園長に溝部哲正就任。
令和4年8月 硬式野球部、第104回全国高等学校野球選手権大会準優勝。